はじめまして。しきと申します。
私は第一子育休中のアラフォーママです。
0歳児を育てていて思ったこと。それは、
子どもが可愛すぎる!
と同時に、お世話で時間が溶けていく…!
このまま子どもの成長をそばで見守るにはどうすればいいか…
真剣に考え出した答えは、育休中に「在宅副業」を始め、
会社を辞める土台を作ることでした。
しかし、心配性で何をするにも行動が遅いタイプの私は、
臨機応変な対応が必要な子育てに大奮闘。
副業や学習の時間を取ること自体、ハードルがとても高く…
そこで、私は決めたのです。
ただ副業に挑戦するだけではなく、「育休中に時間管理のプロになろう」と…!
こちらの記事では、そんな私の自己紹介と、
上記目標を立てるに至った経緯をより詳細にお伝えします。
基本情報
名前:しき
性別:女性
年齢:37歳
仕事:システムエンジニア(SE)
趣味:結婚前…ガチ登山、ライブ鑑賞、ヨガ
趣味:結婚後…夫との生活
趣味:出産後…息子観察
はい。つまり、
「独身時代を謳歌し、結婚後は完全に夫&息子命になった」
という感じです。笑
基本性格
・真面目
・心配性
・何事にも時間がかかる
・マルチタスクが苦手
・柔軟性がなく、臨機応変な対応が苦手
・その割にフットワークが軽い一面も
年を重ねるにつれて緩和してはいますが、
基本的に保守的な性格は変わっていません。
学生時代
小・中学校時代:年長者に従う真面目な努力家時代

①部活動:私は吹奏楽部に入らなければならない
通っていた小学校の吹奏楽部が全国大会の常連で、
私も3年生の終わりごろに入部をしました。
4歳からピアノを習っていたので音楽は好きでしたが、吹奏楽には特段興味なし。
ではなぜ入部することになったか。
それは、学習発表会で吹奏楽部の演奏を聴いた母がふとつぶやいた
「吹奏楽っていいね」の一言でした。
「あ、私、吹奏楽部入らなきゃ」と思い入部。ただそれだけの理由でした。
親が望むことをしなければ。
幼いなりに、そのような思考を持っていたのだと思います。
強豪校ということもあり、楽器は先生が決めるため決定権はなし。
小学生から見るとダサいとしか思えない打楽器パートに配属され、
最初は練習に行くのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
しかし、練習を重ねるうちに打楽器が大好きになり、没頭する毎日。
誰よりも基礎練習を大切にし、家でもコンクール曲を流して楽譜とにらめっこ。
時に40度を超える音楽室で、一人ひたすら練習をしていたこともありました。
その努力が実り、パートリーダーをしていたころのアンサンブルコンテストでは、
惜しくも全国大会への出場は逃したものの、
地区大会で打楽器で1位を獲得することができました。
②高校受験:恋する先生の一言で決めた志望校
このように中学校時代は部活に専念しながらも、
学習面でもここぞとばかりに真面目さを発揮します。
テスト期間が始まると、まずは全教科の範囲を確認。
各章の繋がりと1日の学習量を考えつつ、綿密なスケジュールを立てます。
文系教科は教科書丸暗記までが学習。
理系教科は教科書通りの解答ができるようになるまで復習。
公立中学校の定期テストは範囲もたかが知れており、
真面目にこなしていれば計画倒れすることもありませんでした。
こちらの写真は、実際に私が作っていた単語帳です笑
このような調子だったため、
受験期には学年250人中5位以内をキープしていました。
しかし中学3年生の時、担任の先生に半分本気で恋をしていた私は、
「○○高校は楽しかった、あそこはいいぞ」と、先生が話す、
先生の母校である県内2番手の進学校に進むことになります。
「先生がそう言ってくれるなら、その学校に行かなきゃ」
このようにして志望校を決めたのでした。
小・中学生時代は、基本的に親や先生の言葉に従い、
真面目さとコツコツ努力することで大抵のことは乗り越えられました。
高校時代:意志のない大学受験
課題の多さやレベルの違いにこれまでと同じようにはいかないと思いつつも、
それなりに学年上位をキープしていた高校1年生。
ところが、高校2年生の時に受けた全国模試で地獄に落とされることになります。
数学18点。じゅうはってん…!
衝撃すぎて未だに覚えている数字です。元々数学は苦手でしたが、ここまでとは。
トラウマレベルの数字に苦手意識がMAXになり、
努力も空しく学年が上がるにつれ手に負えなくなる理系教科。
結局、数学は高校卒業まで苦手なままでした。
- このころから、模試の応用問題のように
柔軟な思考を必要とすることが苦手だと気付き始めます。 - このことは後に、実生活における「臨機応変な対応」ができない、
に直結するのです。
また、これまでの、「努力をすればなんとかなる」という考えが
通用しないこともあるのだということを思い知らされます。
それでもやっぱり、私は真面目に勉強を続けました。
そして、大学受験。
これほどの苦手教科があるにも関わらず、
またしても私は自分の意思なく親の声で進学先を決めることになります。
「うちお金ないから、家から通える国立大学に行ってね」
特に目指したい大学もなかった私は、親の言う通り、
苦手な数学にひたすら時間を割いて、真面目に5教科7科目を勉強し、
無事、大学に合格するのでした。
一方で、当時は候補に挙がらなかった私立大学や遠方の大学も
親の一言がなければ興味を持っていたかもしれないし、
得意教科に専念していたら憧れの大学を見つけられていたのでは、と思うことも。
何より、都会で大学生活を過ごしていたら、もっと広い世界を見れたんだろうな。
…でも現実は、したいこともなかった。行きたい大学もなかった。
他責思考で、典型的な「自分で行動できない人」の生き方でした。
高校受験に続き、大学受験も意志なく進路先を決めた私。
この選択でよかったのか、と今でも考え続けているのは、
自分で決断をしていないからだと思います。
大学時代:意志の芽生え

①就職活動:やりたいことが見つかった!のに、流行りの職種を受けまくる
大学時代は周りの友人がさぼったり名前を書くためだけに授業に出席するなか、
私は変わらず真面目に1限の授業からフル出席。
学年ごとの必須単位以外は1,2年生で履修し、
3,4年生は卒論と、周囲に影響されて決めた教員免許取得のために通っていました。
そして大学4年生、就職活動。
通っていた大学では就職支援の手が薄く、
就活をなるべく早く終わらせたいと思っていた私は、早々に自己分析を始めました。
英語関係の学部に所属し、
海外の語学研修などにも参加していた私が目指した業種は旅行業でした。
参加したインターン先で担当してくださった方に憧れ、入りたい企業も見つかりました。
同時に、当時流行り出していたシステムエンジニアを目指す友人が多数おり、
なんとなく受けておいた方がいいのかなと思い、私もIT業界を調べ始めます。
トータルで10社超ほど受けた企業の半数が旅行業界、半数がIT業界でした。
やりたいことが見つかったはずなのに、周りに流された行動をとっていました。
結果、企業分析や対策が中途半端になり、第一志望だった旅行会社の最終面接で撃沈。
20年近く前のことですが、回答に困った質問はいまだに覚えています。
4月1日、鳴らない携帯電話を見つめたまま何時間もベッドに横になり、
もしかしたら結果連絡は今日じゃないかも…と自分を励まし続けた記憶が懐かしいです。
4月初旬、他の旅行会社の選考が残っていたにもかかわらず、
一番に内定をいただいたIT企業に就職を決めました。
②残りの大学時代:日本一周と、フッ軽スタンスの定着
前項で触れた就活と、その後の大学生活について、
もう少しお話をさせてください。
地方ではどうしても規模が小さい就活イベント。
「ここにいてはいけない…!世界が狭すぎる!」
そう思った私は、アクセスのよい都会である、名古屋に通い始めました。
毎週、時に週に数回、朝7時発のバスで名古屋に向かい、日帰りで戻る生活。
そんな生活を数か月間続けた結果、フットワークが羽のように軽くなります笑
それと同時に、名古屋に通い詰めていたことにより変に自信がついたのか、
今まで抑えてきた欲を発散すべく、大学生のうちに何かせねば!と思い始めました。
職業にはできなかったけれど、旅行が大好き。
「美しい世界もたくさん見たけれど、一番身近な日本を知らなすぎる。
日本を知らずに海外ばかりを追っていてはいけない。」
そう思った私は、青春18きっぷと地方のフリーパスを利用し、
北海道と沖縄を除く45都府県の日本一周旅行を計画します。
目的は、各県庁所在地の駅名と一緒に写真を撮ること!
当時はガラケーで、
今のようにスマホで見れるマップもなければ乗換案内アプリもなかったため、
日本地図を片手に分厚い時刻表とにらめっこを始めました。
綿密な計画を立てることが好きだった私は、
ひたすら駅名を撮影するだけの移動日と、訪れた土地を満喫する日を数日設定し、
2週間ほどで45都府県を1周する計画を立てます。
田舎の電車事情しか知らず、数分での乗り換えを各所に入れ込んだ、
バッファのない旅程表でした。
かくして旅がスタート。
序盤はスムーズにいったものの、関東圏通過時に嵐が直撃。
電車遅延が多発した結果、大幅な遅れを取ることになります。
電車は待っていればくるものの、快速などを駆使する計画を立てていたため、
1本ずれると後々大きく響くという事態に直面しました。
それ以降、電車に乗るたびに時刻表とにらめっこ。
切符の特性上、日程のずれは致命的なのに…!
(青春18きっぷは日数指定、フリーパスは週末のみ利用可)
最終的には、ある1県の写真を撮ることを諦め(※)、
かつ、予定から1日遅れての帰宅となりましたが、
予定外の出来事に対応しつつやり遂げたことは、私の中で大きな自信になりました。
※ただしその1か所が悔しすぎて、
社会人になってから、わざわざ写真を撮りに行っています笑
就職~転職と結婚
上京:大失恋で思わぬ自己改革

名古屋で就職するつもりだった私ですが、その年は本社採用のみ。
田舎娘22歳、なんと東京進出です!
初めて配属された職場は人間関係が良好で、
平日休日にかかわらず先輩方と遊んでいました。
初めての一人暮らし!何でも揃っている東京!ひたすらに楽しかった!!笑
そんな毎日を過ごしていた私ですが、社会人になり数年が経ったころ、
大恋愛の末、「明日から会えない」宣言をされ、突然の大失恋をします。
電車のホームから飛び降りる想像をしながら通勤する毎日。
会社では目の前の仕事をこなしながらも無感情に涙が流れ、周囲に驚かれる始末。
この人といられないのなら、生きている意味もなければお金も必要ない。
自暴自棄になり血迷った私は、
ネットで色々調べた挙句、高額な復縁マニュアルに手を出します笑
黒歴史に思えますよね。それほどに真剣だったんです。
(今では完全にネタですが笑)
でも、これが後の私の人生を変えることに。
マニュアルは、まぁ今思えばありきたりなものだったのですが、
更に課金することで受けられるメールサポートが本質をついており、
人との接し方や、それまでの他責思考だった性格をたたき直すことになったのです。
いかに相手のせいにしたり、相手に委ねていたか、
そして相手に依存していたかを徹底的に責められる経験をしました。
まさに、自己改革プログラム…!
実は、当時の私はかなりキツイ性格をしていましたが(そもそも今と顔が違う…)、
この一件で人が変わり、学生時代によくけんかをしていた友人からも
「しきちゃん、丸くなったねぇ」とまで言ってもらえるように。
この経験が今の私の土台になっています。
- 大失恋により自分を徹底的に見直すことになった結果、
他責思考が徐々に自責思考に変化。 - 「優しい」「自分を持っている」と言われることも増えました。
余談ですが、大失恋のその後を少し。
無事、彼と半年後に再会を果たした私は、
友人に「まるで1本の壮大な映画を見ているようだ」と言われる最後を演出をし、
彼の元から去りました笑
仕事:意外と合っていたSE業

「真面目で細かいところまで丁寧。」
これは私が就活のときに打ち出していた自分の強みです。
その分、柔軟な思考ができなかったり、臨機応変な対応を取れなかったり、
突発的な障害対応(※)などが起こりうるSEにとっては
致命的な性格だと落ち込むこともありました。
(※よくニュースで取り上げられる、原因不明のシステム停止などです)
しかし、実際はこの性格が意外と役立っていたように思います。
システムのリリース時や前述の障害対応では、
その時々で判断が求められるようなことが起こりうる一方、
絶対にミスをしてはいけない状況。
そんなときのオペレーションや、確認役を任されたりすることが多くありました。
また、テストでは潜在的な不具合を見つけたり、
進捗管理やタスク管理、スケジュール調整や顧客対応など、
緻密な計画や詳細な調整が必要となる場面では特に、
顧客からも評価をいただいていました。
自分では通常の業務姿勢として臨んでいましたが、
それなりに重宝されていたように思います。
転職:「好きを仕事に」の実現と、運命の出会い 
①自分での決断と、そのための行動。
少し時間は遡りますが、社会人2年目ころでしょうか。
とあることからホットヨガの体験に行くことになります。
体験後、初めての爽快感と、言葉にできないほどの心が透き通った感覚…!
私は一瞬で魅了され、その場で入会を決めました。
波はあるものの通い続けたヨガ。
例の大失恋中、何もやる気がでず、
なぜかそのころ頻繁に声をかけてきたネットワークビジネス界隈の方々に誘われ
無心で複数の社会人サークルに参加していたのですが(引き寄せていたんでしょうね…)、
ヨガだけは自分の意思で、「行きたい」と思い、通えた場所でした。
大好きなヨガ。人生で一番つらいときに私を支えてくれたヨガ。
いつかヨガを仕事にしたい。
私と同じように、心に穴が空いた方たちも通いたいと思えるような、拠り所になりたい。
そう思いつつも、都心に住みながら住宅補助も出ない薄給SEには、
収入が下がる転職は夢のまた夢。
1K10万円弱の家賃に奨学金の返済なども抱えていたため、生活費だけでも15万円程です。
転職後、研修期間に手取り十数万円となることを考えると、
なかなか行動に移すことができませんでした。
そんななか、コロナ時代に突入。
IT業界ではいち早く在宅ワークが導入され、当時の職場でも早々に対応が行われました。
ちょうど異動したばかりで、特に思い入れのない仕事を淡々とこなし、
朝の電話連絡以外、誰とも会話をせずに一日を終えることも。
スーパーのレジで「ありがとうございます」の一言を発することにすら
喜びを感じていました。
そのような具合のため、在宅ワークの快適さを享受しつつも、
私の仕事に対するモチベーションは急激に下がり始めていったのです。
一方、半強制的に外出機会が失われたことから、
このころ一気に貯金が増え始めました。
奨学金の残額を一括返済し、お金に余裕がでてきた私は、
ヨガ開始から何年も迷った末に意を決し、
2021年1月、憧れのヨガスクールの面接に挑みます。
結果、最終面接で不合格。
今の会社も悪くはないからと、迷いに迷って受けたはずだったのに、
いざ落ちてみると人生詰んだ、というような絶望感。
あれ…?私、こんなにインストラクターになりたかったんだ。。
寝ても覚めてもヨガのことしか考えられなくなり、諦めきれなかった私は、
お世話になっていたインストラクターの方にアドバイスをいただいたり、
実際に就職することになったときに絶叫するであろう母親には隠しつつも笑、
父親に真剣に相談をしたり、インストラクターになることを現実的に考え始めました。
そして、半年後の2021年8月、再挑戦。
ついに憧れのインストラクターの職を手に入れたのです!
②転職先での運命の出会いと退職
入社と同時に、全国から同期が集まる1週間の合宿研修がスタート。
残り数日というタイミングで名古屋在住の同期と急激に仲良くなり、
解散後、猛アタックを受けることに。
当時、私以上に決断をしない難あり彼氏(笑)とお付き合いをしていた私は、
同期のまっすぐなアプローチに惹かれました。
一度恋愛で大失敗をしている私。
今会いに行かないと、この人とは一生会えない気がする…
二度と同じ思いはしたくない…
そう思った私は、悩んだ末に当時の彼との別れを決意。
2022年3月、出会いから7か月で同期と入籍をしました。
このように、人生を変える決断を短期間で下した一方、
入社直後、インストラクターとしては物事に取り組む姿勢を変えられずにいました。
レッスンをするにあたり1時間のプログラムを覚えるのですが、
練習ではスクリプトを一言でも間違えると始めからやり直し。
トレーナーの方に提出する模擬レッスン動画は、何度録り直したかわかりません。
もう提出できないかも、と挫折しそうになったとき、
「俺3回くらい呼吸忘れてたで笑」
と励ましてくれる同期(現夫)の存在はとても大きかったです。
また、レッスン中はお客様が集中できる環境を提供するために
ポイントを選んで伝えることも大切なのですが、
「正しいポーズに導かなくては」という思いから言葉が長くなり、
説明感が強いレッスンになっていたように思います。
しかし、レッスン後の感想やアンケート結果では、
「丁寧でわかりやすい」とのコメントが大半で、リピーターも多く、
自分のレッスンを待っていてくれる人がいるのだということに
大きな喜びを感じました。
このような充実した日々も束の間。
入籍日が近づき転居の日が決まります。
入社から日が浅く転勤先の地が選べなかった私は退職せざるを得ず、
大泣きで大好きな東京に別れを告げ、名古屋に向かいました。
みなさん、お気づきでしょうか…
好きなことを仕事にできたにも関わらず、
当時33歳、運命的な出会いを果たした私は、7か月で退職を決めるのです。笑
でも、全く後悔はしていません。ヨガの道も続きますのでご安心を!
- 初めて自分のしたいことを見つけ、自分の意志で道を切り開き、この上ない喜びと達成感を味わいました。
- 自分自身での選択の結果、出会う人も変わるのだということを実感しました。
ちなみにインストラクター職は全国転勤があり、7-23時のシフト勤務です。
家庭を持つならと、このタイミングで夫も転職をしました。
妊娠・出産〜現在
結婚生活:穏やかな日常と妊娠

①子どもはほしい?
退職後間もなく、前職のIT企業から一本の電話が。
なんと、転居先の地での再雇用のお話をいただいたのです。
前述の通り、1度目の転職活動では迷いもあったことと、
前職では何も残せなかったと思っていた私にお声がけいただけたことが嬉しく、
再びSEに。
話は変わりますが、私は元々子ども願望がそれほど強くなく、
夫と生涯二人で手を繋いで過ごしていければいいと思っているタイプでした。
明言したことはなくとも、その気持ちは夫にも伝わっており、
夫も「しきとの未来に子どもってあんまり想像できんねんな。」
と言ってくれるようになっていました。
でも、夫は元来、子どもが大好きな人。
一度ちゃんと話さなければと思い、「子どもほしいと思う?」と聞いたところ、
私といるうちに二人で暮らすのもいいのではと思い始めているとのこと。
でも、最後にいつもの優しいまなざしで一言、
「それでも俺は父親になってみたいと思うよ」と。
そのとき私は「この人の夢を叶えてあげなきゃ」と、心から思ったのです。
それでもしばらく子どもに対する私の気持ちは変わらずで、
なるようになるだろうと思っていました。
②思わぬタイミングで妊娠発覚?!だから人生面白い
ヨガは趣味として続けていましたが、結婚から1年がたったころ、
夫も私もやはりインストラクターの仕事をしたいという気持ちが顔を出し始めました。
夫はフリーランスでパーソナルトレーナーになることを決意し辞表を提出。
時を同じくして、私はいずれオンラインでヨガ教室を開き夫との時間を増やせるよう、
高額な費用に悩みつつもヨガの資格を取得することを決意し
スクールに通い始めたのです。
と、40万円近くを入金した1週間後。なんと、、、妊娠が発覚!!
妊娠中は体を動かす授業は受講不可。
「え、どうしよう笑」
夫も、「え、俺仕事探した方がいい??笑」と。
動こうとすると何かあるもんやな、と、二人で大笑いしました。
出産~育休生活:気持ちの変化と働き方の再考

①入院で締めくくった夫と二人きりの生活
妊娠33週。
産休に入り、残り1か月、夫と二人きりの最後の生活。
出産準備を進めつつも、すべての時間を夫のために!!と思っていた矢先。
なんと切迫早産で入院することになります。有給消化に入った翌々日でした。
そのときの絶望感といったら。
言葉に表せるものではありませんでした。
「神様。できる限り安静に過ごすので、どうか1日も早く退院できますように。」
そんな願いも空しく、結局、
正期産(産んでもいい時期)となる37週まで入院生活は続くのでした。
入院していた1か月間、仕事が忙しい時期にもかかわらず、
夫は1日もかかすことなく面会に来てくれ、帰宅後はビデオ通話。
そのころ一緒に見ていた配信動画を同じタイミングで再生し、通話を繋いだまま視聴。
電話越しに息をのむ瞬間や笑うタイミングが一緒で、とても嬉しかったです。
この人と結婚して本当によかった、
この人との子どもを授かれて、本当によかった。
改めてそう思いながら毎日を過ごしました。
そして退院。夫との穏やかな日常。
こんな幸せはありません。
髪も切って、出産準備も整ったかな、と思った翌日、
息子はタイミングを計るかのように生まれてきてくれました。
おうちでの1週間をありがとね。
②身近なフリーランスとの出会い
これほどに夫一筋だった私。
子どもが生まれても夫が第一だろうと確信していました。
ところが。
生まれてみると、ナニコレ可愛すぎる!の毎日!!
それも、日に日に可愛さが増していくのです!
なんてこった。
100%夫似の息子。愛する夫の分身が生まれてしまった。
可愛くないはずがない!!
ほんのわずかな変化でも、成長を見逃したくない!!
産後手続き等のため、時々会社と連絡を取っていましたが、
その度に「復職」という二文字が頭を悩ませました。
また、夫も私も幼稚園卒だったため、
保育園ではなく幼稚園に入れたいと話すものの、共働きではむずかしい現代。
どうにかできないものかと考え続けていました。
そんなある日、夫の友人が出産祝いに自宅に来てくれることに。
奥さんは、子どもの面倒を見ながらフリーランスをしているとのこと。
ん…フリーランス…??
待てよ、フリーランスになれば幼稚園入園まで、自宅で子どもといられるのでは…?
小学校に上がった後も、家で「おかえり」と迎えてあげられるのでは…??
興味を持った私は、初対面である奥さんに、恐る恐る質問します。
「あの…フリーランスって、どうやってなるんですか…?!」
「えっと、役所に提出したらなれました!」
違うの。笑 そうなんだけど、そこじゃないの。笑
詳細を聞くと、それまでは接客業をしていてPCもほぼ初心者だったとのこと。
デザイン系のスクールに通い、独立。
現在は3つほど仕事を掛け持ちしているそうです。
話を聞いて思ったことは2つ。
- フリーランスになるには、やはりスクール通学が必要なのか。
- しかし、SEで日常的にPCを使っている現状、何かしら挑戦できるのでは?!
私は平然を装いつつも、その場で脳内会議を始めました。
育休中なら子どもが寝ている間に学習できるのでは。
また、復職までに独立の土台を作ることができれば、退職という選択肢を持てるのでは。
しかし前述の通り、私には休学しているヨガスクールの卒業というミッションがあります。
まだ復学していないのに、更にスクールに通うのは無謀ではないか…
そのような思いを抱えたまま、数か月が経ちました。
③AIワークショップの参加とオンラインスクールとの出会い
そんなある日。
SNSを眺めていると、とあるオンラインスクールが主催する
「生成AIについて学べるワークショップ」の広告が目に入りました。
SEということもあって生成AIには着目しており、
ChatGPTはリリースされた直後にアカウント登録するなど、元々興味があった私。
結局検索のような使い方しかできてないんだよな。
無料で5日間も体験できるなら覗いてみようかな。
でも勧誘とかあったら嫌だな。。
そのようなことを考えながら、
登録必須であるワークショップの公式LINEの画面を見ると、
なんと登録者数4000人!
「こんなに多くの人が参加するなら大丈夫だわ笑」
と、気持ちが一気に軽くなりました。
ワークショップでは週に一度講義があり、次回開催日の前日までに課題を提出。
提出しないと公式LINEから追い出され、翌週の講義には参加できません。
無料であるにもかかわらず、運営の方は4000人もの課題を確認するのか。
第3回までの内容の濃さと運営の手厚さもあり、
「このスクールは信頼できる」と確信しました。
(第4回は半分がオンラインスクールの宣伝で、まぁそうだよね、となりました笑)
このスクールなら、ただ学んで終わるだけでなく、ちゃんと仕事にできる気がする…
そう感じた私は、ほかのスクールと比較することもなく、
締切最終日まで悩んだ末に無料相談に申し込みました。
実は、無料相談に申し込む時点で気持ちは決まっているんですよね。笑
話を聞きながら更に始めたい思いが強くなり、
追加料金が必要な3か月のサポートコースのようなものにも登録。
こうして私の副業への挑戦が始まったのです!
③自分との約束
2024年10月、スクールでの学びが始まりました。
こちらのスクールでは、総合的なWebスキルの習得に加え、
マーケティングなどの集客についても学べるとのこと。
推奨される週当たりの学習時間は「20時間以上」です。
そこで、入会時に決めた自分との約束は3つ。
- 今後の息子との時間を作るために入会したとはいえ、
今の息子の成長を見逃しては本末転倒。そのため、
息子が寝ているとき、もしくは一人で遊んでいるときのみを学習時間に充てる。 - 夫と相談して決めたことを蔑ろにしたくない。
ここでの学びを集客スキルとして活かし夢を実現するために、
ヨガのオンラインスクールも卒業する。 - ヨガのスクールも卒業していないのに、
大枚をはたいて別のことに挑戦するとは言えない。
会社員の収入と同等の月収30万円を達成し、そのタイミングでスクール入会を告白する。
(息子を預けることを考え副業のことは伝える)
夫に相談せずに高額の投資を決めた私は、
早々に気持ちと行動を切り替えます。
挑戦する仕事のジャンルは、
本業SEでの管理業務や調整業務等の経験を活かせそうな「オンライン秘書」。
結果、3か月のサポート期間内に、クラウドソーシング(※)にて
在宅副業の案件を獲得することができました!
(※インターネット上で業務を依頼・発注する業務形態)
④「真面目&非効率」が邪魔をする
前にお伝えした通り、私は元来「真面目路線」で生きてきた人間です。
子ども可愛さでハイになっているのか産後鬱などにはならなかったものの、
そこに心配性も加わり、そもそも効率的な育児などできるわけがありません。
出産前から夫は「産後の家事はすべてするから育児に集中してな。」
と言ってくれていましたが、
- 家にいられるのだから私が家事をしなきゃと効率悪く動き、気付けば夕方。
- 小さなことを気にしては検索魔になり、延々と悩み動けない。
(初めての育児に「自分で決められない」が復活) - 離乳食一つを作るにしても調べに調べ、
数日に1回はストックを作っているはずなのに、何故か毎日のように離乳食作り。
(まじでなんで???)
このような調子だったことに加え、
ちょうど3か月のサポートが終わろうとしているころから息子がハイハイ時期に入り、
成長を絶対に見逃したくない気持ちが発動。
さらには後追いが本格化し、日中はほぼ付きっ切りとなりました。
一方そのころ、オンラインスクールでは、学習を進める中で憧れの講師の方と出会います。
とあるオンラインでの企画に登壇されていたのです。
冒頭から一気に引き込まれ、メモを書く手を止めることなく2時間があっという間に過ぎ、
圧倒され、企画後はしばらく何も考えられませんでした。
1か月後。
なんとその方から直接講義を受けられるWebマーケティング講座の告知が!
この講座を受けないと後悔する気がする…
そしてなにより、「この講座を受ければ、きっと月収30万が現実になる…!」
直感でそう思った私は、
息子に手がかかるようになった「このタイミング」で、
追加講座に申込をします。
しかし、非効率な私の日常。
日に日に可愛さが増し目が離せなくなる息子。
オンラインスクールでの新たな学習と課題。
卒業期日が迫ってきたヨガスクールの学習。
正直、限界を感じ始めていました。
目標と今後の方針
副業収入の安定を目指しつつ、時間管理のプロに!

再び、
「本気で気持ちも行動も変えなければ…」と、思った私が
一番に目指すべきこととして目標に掲げたこと。
それは、このブログのタイトルでもある、
「育休中に時間管理のプロになる」ということです!
元々何をするにも時間がかかり手を抜くのが苦手な真面目人間が、
育児をしながら、かつ、子どもの成長を見逃すことなく何かを達成するには、
無駄な時間を削り、隙間時間を見つけ、新たに時間を捻出するしかありません。
昔と違い、今は自分で自分の好きなことを選択できている。
示された道に対して努力をしてこれたのなら、
きっと、自分が決めた道に向けて、自分を変えていくことだってできるはず!!
最後に
こちらのブログでは、
「子どもと一緒に過ごす時間を最大限に!」という想いを軸に、
育休中に在宅副業に挑戦し、時間の使い方を見直す私の実践記録を綴っていきます。
目標は、副業月収30万円を目指しながら、「時間管理のプロ」になること。
真面目で非効率、マルチタスクが苦手な私が、
オンラインスクールでの学びや本業で培った調整力や管理力を私生活にフル活用し、
「どうすれば限られた時間で成果を出せるか?」という日々の試行錯誤を
リアルに発信していきたいと思います。
- 子どもの成長を見守るべく在宅ワークに挑戦したいと思っている方
- 時間管理に課題を感じている方
このような方々に少しでもヒントを届けられたらと考えております。
ご興味を持っていただけましたら、
是非また、覗きにきてくださると嬉しいです。
大変長文となりましたが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
しき